こんにちは。
元ジャニーズ事務所の社長を務めていた、ジャニー喜多川さん。
日本の芸能界におけるジャニーさんの功績は大きく、また、周りの方々にも影響力を与えるほどでした。
しかし、令和時代に突入し、なぜグループを脱退、事務所を退所する人たちが増えてしまったのか・・・?
今回はジャニーズ事務所が創業した昭和時代とトップが変わった令和時代の現在の事務所を比較してみたいと思います。
それではご覧ください。
ジャニー喜多川が築き上げた業績は?現在のジャニーズ事務所は衰退していくのか?
ジャニーズ事務所の歴史
ジャニーズ事務所が創業した昭和時代

ジャニーさんがジャニーズ事務所を創業したのは、1962(昭和37)年。
最初に手がけた所属タレントは真家ひろみ、飯野おさみ、中谷良、あおい輝彦による4人組グループ「ジャニーズ」で、4人はジャニーさんがコーチしていた子どもたちの野球チームに所属しておりました。
ジャニーズ事務所が芸能界で存在感を発揮し始めたのは、高度成長が最盛期を迎える昭和40年代に入ってから。
1964(昭和39)年に行われた東京オリンピックを機にカラーテレビ普及が加速、1970(昭和45)年に大阪で開催された万国博覧会の中継などでさらに普及に拍車がかかったのです。
そんな時代背景のもと、1967(昭和42)年に結成のフォーリーブス(北公次、青山孝史、江木俊夫、おりも政夫)はカラー映像の時代にフィットした華麗なステージアクションで大きな人気を獲得。
続いて1971(昭和46)年にスカウトされ、当初はフォーリーブスのバックダンサーを務めた郷ひろみも一躍ブレークし、1973(昭和48)年にはブロマイド年間売り上げがトップとなり、西城秀樹、野口五郎と新御三家と呼ばれていました。
昭和から平成にかけてステータス確立
1980年代に入ると、ジャニーズ事務所の勢いはますます大きくなっていきました。
たのきんトリオとも呼ばれた田原俊彦、近藤真彦、野村義男。
布川敏和、本木雅弘、薬丸裕英のシブがき隊。
錦織一清、植草克秀、東山紀之の少年隊。
3人単位での売出しが次々と面白いように成功していきました。
また、7人組メンバーによるユニット形式のアイドルグループ・光GENJI(内海光司、大沢樹生、諸星和己、佐藤寛之、山本淳一、赤坂晃、佐藤アツヒロ)は、ローラースケートを履きながら歌い踊るインパクトあるステージで、これも大人気となりました。
昭和の時代、名実ともに男性アイドルを手がけるプロダクションの頂点に君臨したジャニーズ事務所。
そのステータスをさらに決定的にし、芸能界におけるパワーゲームの覇者にしたのが以下のグループ。
●1990年代、SMAP(結成は1988年)

●バンドスタイルをとったTOKIO

●世代の幅が広い個性派グループV6

●関西系の2人組ユニットKinKi Kids

●王道アイドル路線で華々しいデビューが演出された嵐

昭和から平成に入っても人気グループを作り出してきた
平成に入り、バブル景気が終わっても、ジャニーズの隆盛は終わりませんでした。
「テレビをつければジャニーズのタレントを見ない日はない」という状況になったのです。
21世紀に入ってからもタッキー&翼をはじめ、NEWS、関ジャニ∞、KAT-TUNと続々とスターグループが誕生。
メンバー全員が平成生まれのHey! Say! JUMPや、Kis-My-Ft2、Sexy Zone、A.B.C-Z、ジャニーズWEST、King&Princeなど、今日に至るまで次から次へと人気グループが続いています。



ジャニーズを支える企業たち
ジャニーズ事務所は帝国と言われてきた
7月9日にくも膜下出血のためジャニー喜多川さんが87歳で亡くなりました。
1962年に「ジャニーズ事務所」を設立して以来、事務所の社長として57年間、日本の男性アイドル界をリードしてきました。
「SMAP」や「TOKIO」など国民的アイドルを次々と輩出したほか、「最も多くのコンサート」をプロデュースした人物としてギネス記録に認定されたことも。
「日本のアイドル界」を裏方から支えてきたジャニーさんに敬意を表し、ジャニーズを支える企業はたくさんあります。
グループは違えど、ジャニーズ内でユニットを組んでドラマや舞台、CMに出演し、多くのスポンサーもついているため、昭和時代から平成終わりまでの黄金時代はかなり儲かっていたことがわかります。
現在は藤島ジュリー景子が社長
ジャニー喜多川の姪が後継者に

中学校は元麻布の「西町インターナショナルスクール」へ進学。
高校は父親とともにアメリカへ留学。
大学は叔父のジャニー喜多川と同じ上智大学外国語学部比較文化学科(現・国際教養部)を卒業。
なお、大学時代にはスイスに留学している。
大学卒業後は、フジテレビに入社。
同社の秘書室勤務を経て、「藤島ジュリー」や「ジュリー・ケイ」の名でジャニーズ事務所のスタイリストになる。
初の自社レコードレーベル「ジャニーズ・エンタテイメント」の初代社長を経て、新レコードレーベル「ジェイ・ストーム」の代表取締役社長へと就任。
また、母親のメリー喜多川と共にジャニーズ事務所の代表取締役副社長も務める。
2019年7月9日に叔父のジャニー喜多川が死去したため、同年9月27日付で叔父の後を継いでジャニーズ事務所代表取締役社長に就任。

創業家のジレンマ

藤島ジュリー景子はジャニー喜多川氏(19年没)の姪であり、副社長として実務を取り仕切ってきたメリー喜多川氏(21年没)の娘。
現在のジャニーズ事務所は、条件などをジャニーズ事務所と本人が弁護士を通じて話し合うことなどから、マネジメントなどを巡り、事務所総帥の藤島ジュリー景子さんと滝沢秀明さんの確執説が根強くあります。
後継者をつくれず高齢になった今も自身がトップを務めているケースは、創業者のジレンマといえます。特に大企業は社会の公器でもあるのに、株式上場や企業規模が拡大してもなお「俺の会社だ」と思っている創業者は少なくありません。自分にモノ申すような地位を脅かす存在を極端に嫌う一方で、自分の経験や価値観で測るので自然と後継者に厳しくなり、いざ椅子に座らせても長続きしないことが少なくありません。
☝後継者が藤島ジュリー景子氏へと変わってから、ジャニーズ事務所の方針が崩れ始めてきました。偉大過ぎたジャニー喜多川元社長、メリー喜多川元副社長の穴埋めは現在もできていないようです。
後継者にうまくバトンを渡せないことで持続的成長が疎外されたり、ガバナンス不全に陥るケースは少なくないそうです。
現ジャニーズ事務所の方針と合わず、グループ脱退、事務所退所をするメンバーが少しずつ増えてきたのも、もしかしたら事務所関連の問題が絡んでいるのかもしれませんね。
まとめ
昭和時代に創られたジャニーズ事務所。
ジャニー喜多川さんの功績は偉大なるもので、数々の大物アイドルを輩出してきました。
きっとジャニー喜多川さんの人柄にあこがれて、尊敬して、ジャニーズを志す方達が多かったのでしょう。
現在は娘さんである藤島ジュリー景子さんが社長を務めております。
副社長と子会社社長を務めていた滝沢秀明さんが退社するというニュースが連日流れており、果たして今後のジャニーズ事務所はどうなってしまう事やら・・・。
今後の動きに注目です。
以上、koniiのおはなしでした!
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