アントニオ猪木を悩ませる病状は?難病と闘いながら全力で生き抜いた人だった

スポンサーリンク
スポンサーリンク
ニュース

こんにちは。

新日本プロレスの立ち上げなどでプロレス界をリードし、政治の世界でも挑戦し続けていた元プロレスラーのアントニオ猪木さん。

アントニオ猪木さんは難病を患い、「全身性トランスサイレチンアミロイドーシス」と闘っておられました。

やせ細り、身長も10センチほど縮んだそうですが、この病気はどんな病なのか・・・?

今回はこの疑問について解決していこうと思います。

それではご覧ください。

スポンサーリンク

アントニオ猪木を悩ませる病状は?難病と闘いながら全力で生き抜いた人だった!

アントニオ猪木

プロフィール

名前:アントニオ猪木

本名:猪木 寛至(いのき かんじ)

愛称:アントン

生年月日:1943年2月20日

出身:神奈川県横浜市鶴見区

血液型:AB型

職業:プロレスラー / 政治家 / 事業家

難病・心アミロイドーシスと闘う

どんな病気なのか?

長い名を持つ難病は、「全身性アミロイドーシス」という括りに含まれています。

全身性アミロイドーシスは指定難病28として認められている難病で、アミロイドと呼ばれる異常なたんぱく質が全身の様々な臓器に沈着して機能障害を引き起こします。

アミロイドーシスには単一臓器にのみ沈着する局所性も含めて現在まで31種類が報告されており、沈着部位によって症状も様々。

このうち「免疫グロブリン性アミロイドーシス」・「家族性アミロイドーシス」・「老人性トランスサイレチン型アミロイドーシス」が難病として指定されています。

これらに限定すると、患者は100万人当たり6.1人といわれています。

アントニオ猪木さんが罹っているのはトランスサイレチン型で、心臓から発覚したそうです。

なので、最初の報道では、「心アミロイドーシス」と呼ばれておりました。

☝闘病のために、やせ細ってしまったアントニオ猪木さん。

また、局所性アミロイドーシスには脳にアミロイド沈着を起こすアルツハイマー型認知症があり、認知症の原因では過半数を占めていると言われています。

沈着部位によって症状が変わるため診断の確定が難しく、難病の例に漏れず治療は症状の進行を遅らせるのが精一杯とのこと。

全身性アミロイドーシスの治療は、多種多様な症状に対応する対症療法が中心となるようです。

病気の原因はわかっていない

全身性アミロイドーシスの原因は不明とされております。

遺伝性と非遺伝性があるのですが、異常たんぱく質のアミロイドが生成されるメカニズムは解明されておらず、予防できるものではありません。

遺伝性はともかく、非遺伝性は誰でも発症しうるものです。

症状は多種多様であり、アミロイドの沈着した部位によって症状が変わるそうです。

心臓に沈着すれば心不全や不整脈

腎臓に沈着すれば腎不全

末梢神経なら手足のしびれ

舌なら巨舌症

更に、沈着した部位と臓器機能障害の部位が一致するとは限らない、医者泣かせの特徴も持っています。

診断自体は生検(生体組織検査)、胃や皮下脂肪などの一部を採取する検査で判別します。

それ以外にも様々な検査をしないと病型が分からないため、診断の確定には数か月はかかるそうです。

病型ごとに治療法も変わってくるので、診断の確定をいかに早くするかがギとなります。

燃え尽きた79年間

様々なことにチャレンジし続けてきたアントニオ猪木

1956年、13歳の時に家族でブラジル・サンパウロに移住。

1960年に遠征中の力道山にスカウトされ、日本プロレスに入団した。

ジャイアント馬場との「BI砲」として活躍するなど人気を博したが、同団体との確執もあり1971年に追放処分を受ける。

1972年に新日本プロレスを旗揚げ。

自身の数々の名勝負と、人気外国人レスラーの招へいなどで、プロレス黄金時代を築く。

異種格闘技にも挑戦。

1976年には当時のボクシングヘビー級王者モハメド・アリとの「世紀の一戦」を実現させた。

1998年に引退。

引退後は多くのプロレス格闘技団体、イベントをプロデュースした。

1989年にはスポーツ平和党を結成し、同年の参議院議員選挙に初当選。

1990年の湾岸危機では、日本人人質が連行されているイラクで「平和の祭典」を開催。

その後、一連のスキャンダルで1995年に落選した。

2013年には日本維新の会から出馬。

同年の北朝鮮の朝鮮戦争休戦60年記念式典に出席し、その後も何度も訪朝を実現させた。

2014年に離党し、2019年に政界引退をする。

政界引退後は、長い闘病生活を送る。

多くの名言を残した大スター

アントニオ猪木さんは、人生において数々の名言を残しました。

「元気が一番、元気があれば何でもできる」

「落ちたらまたはいあがってくればいいだけのこと」

「踏み出せば、その一歩が道となる」

「道はどんなに険しくとも、笑いながら歩こうぜ」

「子供に夢を持たせたければ、大人こそ夢を持て」

このような名言を残し、燃える闘魂こと、アントニオ猪木さんは最強の敵との最後の戦いを終え、天国へ旅立ちました。

スポンサーリンク

まとめ

アントニオ猪木さんの闘病生活は、難病だからと人生を諦めてはいけないという教訓を我々に示しているかのようです。

自身の近況もYouTubeで配信しており、そのチャンネルは「最後の闘魂」と名付けられて配信されておりました。

闘病生活を長い間送られておりましたが、病には勝つことができなかったアントニオ猪木さん。

常に全力で生き抜き、何事にもチャレンジしてきたアントニオ猪木さんの熱い魂は、きっと多くの人の心に残ることでしょう。

以上、koniiのおはなしでした!

コメント

Translate »
error: Content is protected !!
タイトルとURLをコピーしました